2008年 北海道長期滞在手記

2008年 北海道長期滞在手記

<宿>
2008年6月下旬より9月下旬まで、北海道小樽市に滞在した。朝里川温泉に高速道路を通す計画であり、当然朝里川温泉の宿(ロッジガルミッシュ:スイスのスキーのメッカの地名らしい)で過ごした。
宿の主人には良くしてもらった。(良質の食事といつでも泊まれるという意味)


同宿は、観光バスの社員契約宿(小樽市に客が泊まりドライ―バーとガイドがここに泊まる)となっていた。大きな洋風リビングで食事を共にするので、こちらも少し緊張した。複数の観光バス会社が契約している様で、1回も同じ人を見かけなかった。ドライバーは50歳以上がほとんどで、ガイドは25~50くらいだったか。間違いを避けるためであろう。たいていのドライバーは酒を飲まない。反対にほとんどのガイドがビールを飲んでいた。1日中話づくしで、喉が渇くのであろう。何人かに話しかけてみた。ドライバーは、宿泊地での飲酒は罰則だそうだ。わがままなお客さんの愚痴が、たいていの話題だった。
北見工業大学(国立)の学生の合宿にも重なった。トランポリンの全国大会が小樽で行われていた。20人もの若い男女と食事をし、会話にも混ぜてもらい楽しかった。北京オリンピック開催中でもあり、こちらのイメージも高画質であり、話がよく分かった。彼らとは風呂場でも会話を交わした。もちろん男子のみ・・
高校生の剣道北海道大会の合宿とも重なった。生徒は礼儀良く食事を滞りなく済ませ、部屋に戻った。残ったのは引率の先生。50台後半でジャージ姿のいかにも先生風?。話しかけてみた。専門は理科の地学だそうで、これは話が合った。偶然だけれど地質屋の臭いがしたのか、それともなにか感ずる物があったのか。富良野付近の地質を研究しているとのことで、今後の北海道探求のためにもいろんな話を聞いた。もちろんこちらもかなりの突っ込みを入れた。いつも1本の大瓶ビールを3本も飲んでしまった。先生の翌日の仕事に支障が出そうな時間になってしまったので切り上げた。18番のカラオケを熱唱した様な充実感が残った。
部屋も清潔であり、毎日寝心地が良かった。

<休日>
Nexcoの業務は土日が休みである。土日を1人でどう過ごすかが、課題でもある。小樽のTUTAYAに行ってみた。音楽CDをいくつかレンタルした。8月は天気の良い日が多く、郊外へドライブすることに。

根が真面目なので、とりあえず珍しい地質を見に行くことにした。小樽の現場に分布しているものと同じ地層(ハイアロクラスタイト)の模式地を見てみたくなった。そのエリアでは、平成7年に岩盤が落下し、バスがつぶされたトンネル現場も見ることができる。積丹半島に決定した。
半島海岸沿いを、時計回りに進むか、または反対に回るか悩んだ。付け根から北西を大きく突き出した半島であり、岩の様子を見るならば、太陽を背に太陽と同じ動きをする方が良いと考え、時計回りに決定した。
国道5号を西に100kmほど走ったところに岩内という町がある。そこから北上すると積丹半島だ。乗車しているのは、仕事車であるスバルサンバー4WDBOXだ。軽自動車で箱形なので、坂道はきつい。追い越し車線ではトラックを除く大半の車に抜かされた。国道5号はカーブが緩やかで道も広く疲れは出なかった。
半島に着き第1景勝ポイントで写真を撮った。“積丹ブルー”という言葉がある。これは積丹半島にしか見られない群青の海の色を表現しているらしい。

まさに眼下の海の色は、今まで見たことのないほど深いかつ鮮明な青だ。風が心地良い。北海道の初夏は東北と違い空気が澄んでからっとしている。ほとんど観光客はいない。海岸から70度前後の急傾斜で200m以上そびえ立つ岩盤斜面を右に、左手に積丹ブルーに満ちた海をみながら、さらに海岸を進む。道路がやや狭くなってきた。しかし2車線が確保されているので安心感があった。昔、青森の小泊半島(積丹半島の様な僻地)を訪れた時には、乗用車の離合が出来ないほど狭く、後悔したことを思い出した。時代もすすみ、道路整備がかなり進んでいるのかもしれない。

第2景勝ポイントでは、代表的なハイアロクラスタイトが分布していた。広い駐車場には1台も車がなかった。半島についてから走って50km、まだ集落が1軒もない。断崖絶壁と海が観光資源であるが、通常ある様な土産物屋や茶屋がなく、これも北海道の独特な雰囲気を醸し出していた。しかし自分にとっては、教科書に出てくる様な地質露頭を1人でじっくり観察でき、満足だ。


これ以降も景勝地が連続する。ここからはトンネルが連続してきたので、トンネル坑門(入り口)に着目して写真を撮った。大半の左手海沿いの旧道にも狭いトンネルがあり、ここは鉄製の扉で閉塞されていた。豊浜トンネルの事故以来、徹底して安全なトンネルへの付け替えを行ってきたことがよくわかった。相当の建設費を捻出したと思われる。しかもほとんど使用されていない。同じ仕事に携わっている者としては心が痛む。

最大の景勝地、神威岬に着く。積丹半島の突端。ここは大勢の観光客で賑わっていた。おそらく余市側から自分とは反対回りで来た人たちだ。駐車場から坂を上り15分行くと、なにやら注意点が書かれている。“女人禁制”しかし大半の女性観光者は、無視してくぐり抜けていた。その先には、まだ2kmほど岬が続いており、往復40分はかかると見た。神威岬を構成する白い地質岩盤と積丹ブルー、抜ける様な青い空を少しだけ眺め、先へ急ぐことに。


次の景勝地は積丹岬だ。ここも多くの観光客でにぎわっていた。まだ日は高く、小樽までもう50km地点まで戻ってきたので、時間を費やすことにした。かの源義経が、旅先の女性とその子供を背負ったまま見送られる様子が岩柱に造形されたような、“シララ姫女郎子岩”というものがある。片道40分のロングコース(革靴なので)だった。たいていの人は15分ほどの灯台で引き返していた。この先25分、よしいこう。遊歩道には足跡が少なく、歩く人はいないのか。またヒグマが出没しないとは言い切れないこともあり少し不安になった。

20分歩いたところで、なにやらを若人の群れのざわめきが聞こえた。先客がいる。自分だけではない。足取りが速くなる。目的地に着いた。そこでは7人の若い男女に出会う。話しかけてみた。東京から来た学生らしい。「6大学ですか?」「いえ」「何を専攻していますか」「法律です」「もしかして一橋ですか」「そうです、良くわかりましたね」「なんとなく、従兄弟がいますからつい」 ということで、一橋大学学生と、僅かな会話を交わした。目的はサイクリングだそうだが、男子生徒のみサイクリングで、女子はサポートだそうだ。これがきっかけで複数のカップルが出来そうないい雰囲気の若人達だった。
この日は、満足感で満ち溢れ、日本海に沈む夕日をさらに満喫し、宿へ戻った。

<休日2>
この日は、午前中、現場事務所のトイレ及び事務所の床吹き掃除を行い、旅立つことに。
北海道に来て、それも道南にいて、支笏湖を見ないわけには行かない。家族と旅行した際の札幌への帰り際に、夕暮れの支笏をみた。その時、ゆっくりともう一度見たいと思った。今回それを実現化した。小樽から定山渓温泉方面を抜け、支笏湖南岸にある“苔の洞門”を歩く。

ここはCANONのCMにおいて、渡辺兼が早朝霧中のここを抜けた後、視界の広がる支笏湖を撮影するという趣旨で撮影されている。実際は立ち入り禁止であり、環境省の許可を取り付けたものと思われる。地質学的には、樽前山から噴出した溶結凝灰岩が、その後の河川浸食で形成された断崖に、苔が生しているものである。九州宮崎に阿蘇から噴出した溶結凝灰岩に形成された“高千穂峡”があるが、こちらではなぜか苔が生している。植物学的な違いがある。


何人かの家族やカップルとすれ違い、目的地の“ベアハウス(ペンションか?)”に向かう。この日はあいにく曇りであり、支笏湖の湖面はよどんでいた。早速宿に入った。「こんちは」主人らしきひげの親父が出てきた。歳は俺より5くらい上か。部屋に案内される。「風呂はないから、200m先のユースホステルに行ってくれ。そこもうちで経営している。温泉だよ。フロントのおばちゃんに電話しておいたから。」「ここはライダーハウスですか?」「そんなところだ」
早速温泉に行った。ユースホステルといえば、中学3年生のとき、井上靖著“しろばんば“の舞台である”修善寺“に友人と2人でサイクリングした際に何泊かしたときの事を思い出した。ユースホステルも利用する若者が減り、現在は縮小化傾向にあるという。当時は、自分は中学3年生、周りは、20台のお兄さん、お姉さんであふれかえっていた。そのときは大人の仲間入りをしたような錯覚に陥った。もちろんその手の話をお兄さんがたから教わったのだ。青春の門か?
風呂を上がり、レクサイドの9月の風を体に感じいい気分になった。宿の向かいの和風レストランに入る。有名な“チップ”(ヒメマス)料理に舌鼓を打ち、ビールがうまい。刺身、マリネ風そば巻き、フライとバリエーション豊富である。裏話を聞くと{養殖だよ}らしい。貧栄養湖である支笏湖天然では育ちが悪いのだそうだ。そんなもんか。世の中、需要と供給バランスが大事である。天然は聞こえが良いが、味や品不足により観光資源にはなりえないのである。
この日から、北京パラリンピックの開催である。オリンピックに比べ開会式も清楚である。しかし、後になれば、オリンピックの花火はCGで、斉唱の女の子は“くちぱく”やはり商業ベースのオリンピックであった。これに比べパラリンピックのほうが本来のスポーツの祭典に近い雰囲気を持つ。時代の反映である。
部屋で乾物をつまみ、冷酒を飲んでいると、なにやら階下から楽しげな声が。若い声の女の子と、マスターの高笑いが・・・。下は喫茶店のはずだが・・・。
しばらくして、酒も切れたので、階下に降りてみた。そこでは、ビールジョッキやショットグラスを並べていた、お客さんが3人ほどいた。50台くらいの男性客から、「お客さんが来たよ」「私ですか」「そうだよ、ここは夜のミーティング会場だ」またしても、ユースホステルの夕食後ミーティングを思い出す。「マスター、何が呑めるの」「60度のこの店オリジナルウイスキーがあるよ、呑んでみるか」向かい部屋の20歳代の女の子も呑んでいるようだったので、「ワンショットいただきます、まさかこんなライダーハウスなんて想像もしなかったよ」「リピーターが多いよ、特に女の子がね」なにか意味深な、開放感のあるお店だった。
マスターが、誇らしげにDVDを見せていた。「これ、NHKの取材で、“野口静子(NHK北海道美人キャスター)”が来たんだ。カヌー操作がうまくいかず、TAKE2,TAKE3、それでもうまくいかず、翌日TAKE4で成功のフィルムだよ」と、誇らしげ。どうもこのかた“カヌーツーリズム”の有名人らしい。その後は、ギターの弾き語り。多彩なマスターだ。話を伺うと、大手電気設備会社からの転身だそうだ。よほど会社勤めが合わなかったのだろう。楽しく秋の夜長を過ごした。
翌日、宿の付近の“支笏湖ビジターセンター”で樽前山へのルートを確かめ、4WDで向かう。1時間走ったところから、歩行だ。深い霧中であり、視界が望めないことからすぐにやめた。
山を降りる。帰路は、雲の隙間から羊蹄山を望める倶知安をすり抜け、赤井沢カルデラを望み、こんなところに厚い火砕流堆積物が・・・やはり地質屋家業が抜けないなと考えながら小樽へ戻った。

<休日3>
この日も、現場事務所の掃除を済ませ、小樽の“TUTAYA”でCDを借り、洞爺湖へ。軽ワゴンでも、音質は確かだ。“ゆず”の軽快なサウンドで、1人身ツーリング。


洞爺湖は、この年のG7世界環境会議会場となった。1ヶ月ほど前から、遠方の札幌市における警察による複数の検問チェック、国際的客人の警備予行演習がかさみ、なんと物々しい雰囲気を醸し出したことか。フランスのサルコジ大統領が開会に間に合わなかったことでも際立った。会議で何も決まらなかったことでも際立った。

洞爺湖は観光地だ。支笏湖と違い、大手の観光ホテルが林立する。湖畔に行ってみた。足湯がある。チェックインまで時間があったので入ることに。カップルや家族が俺の後に入ってきた。みんな夕暮れの静かな湖畔を眺めながらリラックスしていた。茜色に浮かんだ羊蹄山が印象的だった。
9月でも観光サービスの湖上花火が開催されている。20:00~20:30に毎晩約1000発が打ち上げられている。水上スターマインが魅力的だ。標高も高いところで、寒さに耐えながらの花火見物だった。
翌日の朝食。湖面を眺めながら和食をいただく。隣のカップルが「納豆って何回かき回すとおいしいかしってる?」「わからないわ」「18回だって」「どうして」「全国納豆協会がそう言っているんだ」「へー」  隣で聞いていた俺も「へー」だ。


この日、曇りであったが、湖面に浮かぶ“中島”に渡航しようと考えた。フェリーボートの名前が“トム・トーヤの冒険号”ひねりが少ないが、気にする客も少ないだろう。

上陸。森林観察館に立ち寄る。200円を支払う価値はどうも少ないが、中島に生息する天然“エゾシカ”に触れることが出来ることが判った。土産物屋で記帳すれば、園内に入れるらしい。柵で覆われており、ナンバーを教えられた。「108です」ダイヤルロックを忘れないことを強く告げられた。エゾシカに逃げられないようにだ。入園した。


いたいた。角の立派なエゾシカは結構大きい。身の丈は俺と同じ。追われたら、こっちの身が持たないと思った。10mくらい近づきシャッターを切る。引き返すわけにも行かずこの先40分、遊歩道を1人進んだ。余り利用されていないのだろうか。曇天の森林は結構薄暗い。エゾシカは餌場にしかいないようだ。動物の泣き声もなく、静寂な散歩を味わった。終点出口でもダイヤルロックを掛け、ようやく出てきた。20分待ち、“トム・トーヤの冒険号”にて温泉街に戻った。宝はなかった。


昼飯に中華そばを食べ、有珠ロープウェーへ。目前に水蒸気を吐きまくる昭和新山がある。噴火後60年経過してもまだ熱いらしい。赤褐色の溶岩ドームと貫入された火山灰層が明瞭に判別できる。ロープウェーには30人ほどが乗った。晴天になった。昭和新山が小さくなり、洞爺湖が見えてきた。眼下には、火山砂防ダムが幾重にも重なり、ロープウェー起点口を保護している。到着した。起点からは標高差300mもあるわけで、風が冷たい。もちろん標高は600mほどにもなる。

カルデラ遠望台へ向かう。15分歩くと、有珠のカルデラが見えてきた。中心部分が丸く大きく凹み、外輪山がくっきり見える。その中央部には1984年に噴火した銀沼火口があり、まっすぐに白い水蒸気を上げている。大半の観光客がここで折り返す。さて、外輪山縦走コースへ行くか戻るか。

14:00。陽はまだ高く片道45分でも折り返せる。外輪山を下りカルデラ底に下りる階段が、400段はあった。行きはよいよい帰りは怖いか。まあいい。そこで60歳台と見るおじさんに出会う。「この先で△頭巾をまいているおじさんに会ったら、伊藤が先に下っていると伝えてくれ」「わかりました。三角頭巾ですね。この先はつらいですか」「これは見ておいたほうがいい、見ないと後悔するほどの絶景だよ」「わかりました、先を急ぎます」60歳台でも行けるほどだ。カルデラ底から今度はまた、西側の外輪山へ上る。150段くらい階段を上がったか。
そこは西に噴火湾、東に銀沼火口、オガリ山、大有珠、小有珠とパノラマが広がっていた。噴火湾のかなたに小さく北海道駒ケ岳が見える。西日を浴びる噴火湾はきれいだ。外輪山には一面ススキが白穂を垂れており、秋の深まりを感じさせた。40分で終点に到着。△頭巾のおじさんにはすれ違わなかった。眺望を楽しみ、晩秋の原色を十二分に写真に収めた。

帰り際に、若いカップルとすれ違った。20歳前後か。こんなに若い子らも来ているのだ。しかもこれから日が落ちようとしているのに。「△頭巾のおじさんみかけた?」「少し戻ったところにいたようだよ」「ありがとう」しばらく行くと、終点をめがけて黄色いバンダナを頭に巻いたおじさんに出会った。「伊藤さんというかたが先に下りていると言われました」「ありがとう。先端を見てすぐに戻る」どこで追い越したのか。火口ばかり見ていたときに、おじさんはトイレ(1箇所トイレがあった)でも入っていたのか。とりあえず役目を果たしたことでほっとした。
最後の上り400段の階段は体に応えた。しかしまだ3名ほど後ろにいると思うと、どこかで待ってやらなければという感覚になった。

<休日4>
この日はニッカ余市工場見学と雷電温泉を散策した。


天気は良好で、国道5号のドライブは快適だった。小樽から余市までは1時間の所要である。
余市工場では、ガイドが無料で案内してくれる。話を聞き入り、ウイスキーの奥深さ、ニッカの創始者竹鶴の人生を垣間見た。ウイスキー工場内には、独特の香が漂い、酒類を好まない人にとってもこの香にはただならぬ酔いを感じることだろう。


また独特のカビ(有害ではない)が繁茂し、白樺の木が黒ずんでいる。これもウイスキーを好むカビだそうである。秋田事務所各人に、シングルモルト余市10年小瓶とチョコレートを送った。きっと喜んでくれるはずである。

雷電温泉は、海へ突き出したニセコ火山群の麓にあり、絶景ポイントである。しかし本日停まる朝日温泉は、そこから10kmも山中の秘湯であった。


つくなり玄関にマムシ。いやいや、露天風呂があるのに、マムシと混浴か?。
しかしここまで入らないわけに行かないので、入った。露天風呂は宿から100mほど山の手にあり、川を一本橋でわたる。浴衣と下駄で向かった。湯船は3mくらいの楕円形で、ぬるかった。湯は酸性の硫黄泉でありやや白濁し、硫黄泉らしい臭さを有している。背後に洞穴があり奥からホースが出ていた。鉱山開発で湧出した温泉であろう。川のせせらぎを聞き、ゆったりと夕暮れの自然観察を満喫した。
マムシ以上にヒグマの危険もあったので、20分ほどで宿に戻った。

OFFの手記であったが、もちろん仕事も充実していた。NEXCO監理職員や下請けさんともかなりコミュニケーションを交わし仲良くなった。改めて北海道支店にお礼を言う。来年は道東で仕事がしたいと・・・。

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