晩秋の八戸

八戸といえば日本随一の海産物の町である。しかし時代をさかのぼれば、昔から栄えていた様子が伺える。江戸時代の南部藩である。当時は軍馬を年貢として収める習慣があり、馬戸(うまべ)という区域区分で、一戸から九戸まで区分されていたようである。また古くから大陸の鉱山資源開発技師を招き入れ、秋田県北部や岩手県全域にわたる金銀鉱山開発、銅鉱山開発を進めた結果、潤沢の財源を確保していたようである。

その名残であろうか、遠方との親戚縁者として薩摩藩から島津信順公を婿養子として迎え、造園技師も同行した結果、立派な庭園が造成された。ここ八戸南部氏庭園は無料で開放され、市民に愛され続けている。少しお邪魔し、拝見させてもらった。蓬莱山形式と回遊式枯山水が取り入れられている。かなり寒かったが晩秋の紅葉を味わった。

 

 

 

 

 

 

 

また、八戸市内を流れる馬渕川の南側段丘面にある根城を訪れた。根城は南北朝時代に築かれた中世の城郭で、日本100名城に選ばれています。代々、南部氏の居城として利用された。現在は「史跡 根城の広場」として公園化されており、本丸跡には発掘調査の成果をもとに主殿や工房などが復元されている。(攻城団の城郭データベースより)

寒冷地で雪深い城であることから、場内には茅葺屋根で竪穴式の兵糧庫、火薬庫などが増築され、他の居城とは趣が異なっている。ここでもイチョウが黄金色に色つき、曇天の寒空であったが温かく受け入れてくれた。この時期のみ本丸が無料開放されている。

Short traveler2023

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