桜と姫路城と赤穂城址 2017

出張の合間に、満開の桜の姫路城と赤穂城址を散策した。

姫路市は人口54万にもなる大都市である。その大都市北側に国宝姫路城が鎮座している。JR姫路駅の北側をまっすぐに行くと白亜の大きな城がみえる。シラサギの翼を広げたような容姿から白鷺城とも呼ばれている。大天守は400年前に築城され、そのままを残しており、国宝にふさわしい歴史的価値が存在する。

この日はあいにく雨であったが、早朝の散歩でまだ人が少ない時間帯に、写真を撮影した。

まず姫路駅に面した大手門から入場する。桜門橋越に白亜城が見える。桜のピークは過ぎたがピンクの桜と白鷺城はよくマッチしている。また大手門の石垣や木製の橋とも桜はよく似合う。

 

内側は広い芝生で占められている。ここは三の丸跡だそうだ。ここからの眺めは一転した。外堀の壁に遮られていた天守の脚部が見えなかったが、中に入るとしっかりと天守の石垣から空に天守がそびえる様が見えるため、殊に大きく見える。とてもまた桜とマッチする。

次に時計回りに進み、西の丸を見上げる。ここも西側の入り口をふさぐような大きな櫓があったのであろう。回廊のみでも非常に難攻の城壁が見るものを圧倒する。この桜もとても見事である。

 

次に大天守の南西隅角より見上げる。顔穴の写真パネルがおいてある。本多忠刻とその妻千姫である。早朝で誰もいないのがまたさびしいが、外国人が居れば、確実に大人も写真を撮る。外国にはないサービスなのであろう。日本人は残念ながら子供しかやらない。

また夜に訪れた。夜桜でかなりの市民が出ていることであろうと期待した。しかし予想を反しわずかな市民が宴会を行い盛り上がっていたが、多くはスマホなどで撮影する外国人観光客であった。

しかし夜桜はまた見事である。白鷺城のライトアップもあり、より荘厳な雰囲気を醸し出していた。

聞くところによると、天守のそばに「お菊井戸」があり、これが怪談「播州皿屋敷」のそれであるという。お菊はスパイとして女中に入り、そこでの家臣からの縁談を断った理由で皿欠けの濡れ衣を背負い、この井戸に身を投げたところ、夜な夜なうらめしやとなった訳である。その他にも、この城をめぐる家臣たちの陰謀劇と悲劇が付きまとい、甲冑武者の亡霊も出るといううわさがある。いずれも美しい城には、なにかしらのいわれがあるようで、それも国宝にふさわしい歴史が背景にあるのであろう。

 

赤穂城址は、国の史跡で1645年に常陸国笠間から来た浅野長直が13年かけ完成したものとされている。海に近く海岸平城というらしい。二之丸・本丸は輪郭式で三之丸が梯郭式という変形構造らしい。天守は築かれなかったとのこと。三代続いた浅野家は、松の廊下事件でお家取り潰しになる。その後永井家、森家へと継がれた。

そんな赤穂城址も満開の桜に囲まれ、見事な城壁がその栄華を物語っている。

最後に、姫路駅正面に聳え立つ「白鷺城」をホームから確認して、新幹線で東京へ向かった。

Short traveler 2017

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