中学3年卒業後の春休みロングサイクリング

1日目

 朝8時、新木君のうちまで自転車で行き、彼のお母さんに挨拶し出発した。毎日連絡を入れなさいといわれた。彼は幼少期から喘息を患っており、お母さんはすごく苦労してきたらしい。その息子が8日間に及ぶ自転車ツーリングに出かけるものだから心境は複雑だったろう。うちの母もよくOKしてくれた。中学卒業のお祝いと半分大人への期待「かわいい子に1人旅をさせる:その二人であったが・・」とにもかくにも、埼玉の新座から伊豆修善寺・下田への旅が始まったのだ。

 初日から雨。友人から借りたサイクリング車は、18段変速。軽い。サイドバックと重たいアディダススポーツバッグをくくりつけ、自分の体重もあわせ、かなり重たくなっていた。

 多摩あたりであろうか、道を間違え修正しようと大通に合流しようとした。しかし雨の急な下り坂道でブレーキが効かなくなっていた。渾身の握力で両手でかけてもだめ。そのまま4車線道路に突入した。幸い通行車両が無く、分離帯で停まった。ひやひやの初日である。

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 そのまま南下を続け座間市あたりで雨がやんだ。カッパを脱ぎまた自転車を進め、海老名市を抜け寒川神社で参拝。更に南下し茅ヶ崎の海を拝んだ。湘南の海を見て本日の成果満足に対し、気持ちが自然と沸いてきた。本日の宿は茅ヶ崎ユースホステルだ。当時2500円で2食付。本日の走行距離120kmほど。かなり疲れ果てたが、初めて会う大学生クラスの諸先輩方と楽しい一夜を過ごした。

 

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2日目

 この日は朝から天気が良かった。ほの暖かい南風を受け、国道134号を西へ走る。左手に湘南海岸を見ながらひたすら走った。気がつくと、いつしか長い高架橋の上を走っていた。格段と海がよく見え気分爽快だった。しかしながら、・・やたら車が速く走っている。1台が脇に近づき助手席の窓を開けこう言った。「にいちゃん、ここは西湘バイパスで自転車禁止だ。早く降りろ」 ・・「そうかどうりで他に自転車がいない」 新木君と相談し、引き返すことに。3kmは走ったがまあいいか。天気もいいし。

 今度は国道1号を走り、真鶴海岸にかかったところで天気が曇ってきた。風が涼しく感じ、カッパを着て走った。この時代にはコンビニエンスストアは無く、途中のラーメン屋などで昼食をとった。

 その当時の熱海は1大観光地であり、多くの観光客でにぎわっていた。大きな温泉旅館が林立する中をゆっくりと走りぬけた。

 本日の宿は「網代旅館」である。このあたりにユースホステルは無く、電話予約でここしか取れなかった。

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1人12000円なり。これは新木君にも事前に話してあったが、中学生でこれは高い。しかし料理はすごいものがあった。舟盛の大きさといったらすごい。50cmほどの木船に、鯛、あわび、アジ、マグロ、はまち等高級魚が山盛り。なかでもアジのたたきは最高だった。伊豆半島では身の締まった大きなアジが取れる。今でも忘れられない美味であった。喰い盛りの俺たちは残さず完食したはずだ・・。温泉も良かった。無色無臭で湯温もちょうどいい。この日は50kmの走行。2日目がゆっくりと終わった。

3日目

 この日は曇り。気温は低めだ。いよいよ山岳地帯へ入る。覚悟はしていたが急坂の連続で息つく暇が無い。修善寺に抜けるには海抜ゼロメートルから標高400m の亀石峠を越えなければならない。ケツを上げ、ひたすら漕ぐがなかなか進まず、汗がしたたり落ちる。新木君もきつそうで、かなりの時間を上り坂に費やした。スイスイと追い抜く車からは大きな応援を一杯一杯もらった。春休みのハイカーとヤンキーの兄ちゃんが多かった。みんな優しい。しかしこちらは終わることの無い地獄。

峠にたどり着いた。後ろを振り返ると大きく海が見える。曇りの中だが相模湾の青さが印象的だ。網代旅館で作ってもらったおにぎりをここで食べた。峠ではより大きな達成感とおいしいおにぎりで満足感を味わった。

ここからは長いくだり坂で、すいすい。気持ちいい伊豆の風を浴び、修善寺温泉へ。

 

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渓谷を見ながら団子などを味わった。この日は修善寺温泉ユースホステルへ泊まる。3日目の走行は30km。山岳コースなので距離の割にかなりきつかった。

4日目

この日は冷たい雨。修善寺から緩やかな上り坂で、湯ヶ島に近くなると勾配がきつくなってきた。

もともと「しろばんば」の作者「井上靖」のふるさと湯ヶ島を見たいと2人の息があったことから始まった旅行であり、ようやく実現したのであった。「しろばんば」の中にでてくる「洪ちゃ」は井上靖本人であり、秋の寒々としたさびしい山間地の里の風景が文章で明瞭に描かれていたことを思い出した。季節は春であり、時代も大きく変わり、だんだん畑も無く、観光旅館が林立する風景しか見られなかったので残念だった記憶がある。

 浄蓮の滝を見て、「天城越え」である。昨日味わったような急な上りではないが、とにかく長い坂である。標高は800mくらいあるのか。カッパの内外から蒸し返され、かなりの体力を消耗した戦いが続いた。

 最近になって「川端康成:伊豆の踊り子」を読んだ。旅芸人(下民)と旧制第一高等学校学生とのプラトニックな恋物語であるが、当時は歩いて越えたのである。峠では旧天城隧道を通過した。真っ暗で長かった記憶がある。ただし真っ直ぐなので、出口の明かりのみ目指した。

 トンネルを抜けると今度は長い下り。案の定、ブレーキが効かない。すぐに車と同じ速度になる。前方に観光バスが見えた。このままでは追い越してしまうほど速くなって来た。どうしようもなく、バスの左後ろバンパーあたりを右手で押さえ、左手1本でバランスを取った。この状態でしばらく走ったところでバスが停まり、自分も停まれた。運転手が降りてきて「ずいぶん危険なことをするな。やめたほうがいい」と。こちらもブレーキが効かず対処が無く、何とかすがりつきました。これからは少し歩いて下ります。

 幸い雨がやんだ。また2人で走り出した。しかし調子に乗ったところで今度は転倒した。原因は「路面反射板」だ。自転車を倒してカーブを回った時に乗り上げ弾んだのだ。幸いすりむいただけで済んだが、後輪がパンクしてしまった。

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 また2人で押して歩いた。しばらくすると軽乗用車が通りかかり、「どうした」と声をかけてくれ、乗っけてもらえる事になった。その人は国道脇の農家の青年である。傷口の消毒とパンクまで修理してもらった。お礼を言ってその場を立ち去った。今さらながらお名前を頂戴しておくべきだった。しかしこの日はロング行程であり、アクシデントが多く、たどり着くかあせっており仕方なかった。いつか恩返ししたく思っている。

 この日は下田温泉旅館に泊まる。2食付6000円。山岳コースの60km。ゆっくり汗を流し、熟睡した。

5日目

 曇りだが、石廊崎まで走り海岸の絶景を満喫する。また戻り、下田温泉旅館に再び泊まる。往復40km。時間が余ったので下田市内を散策するがほとんど覚えていない。

6日目

 曇りだったと思う。さすがに疲労がたまり、ただ海岸を右手に見て走った。昔、小学校の図書室できれいな大室山(きれいな円錐火山)の写真を見ており、立ち寄ったはずだ。シャボテン公園も見たと思う。疲労が優先し記憶が少ない。

 この日は伊東ユースホステルに泊まる。工程は60kmだが熟睡したものと思われる。

7日目

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 曇りだったと思う。かなり疲労がたまり、この日もただ海岸を右手に見て走った。往路で熱海温泉を満喫したのでこの日は素通りした。疲労が優先し記憶が少ない。

 この日は初日同様の茅ヶ崎ユースホステルに泊まる。工程は80kmで熟睡したものと思われる。

8日目

 どこをどう帰ったか記憶に無い。家でどのように迎えられたのかも覚えていない。終わったという達成感で一杯だったか・・・。新木君とお母さんは泣いていたかも。そうそうサイクリング車を佐藤君へ返却したときにパンクさせたことを伝えてなかったっけ・・。もう時効だよな・・・。

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 今考えても、この15歳のときに、ロングサイクリングを実行できたことは、感無量である。成果は、学校以外の社会を見聞できたこと、最低限の度胸が必要と判ったこと、アクシデントを倒破できたこと、何とかなるという前向きな姿勢が芽生えたこと。わが子にも味あわせてやりたいものである。

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