箱根駅伝の1か月前

かつて箱根は東海道の難所であり、犯罪人や謀反人を江戸に入れない関所としては最適地だった。また江戸幕府は小田原市内を流れる急流酒匂川にもあえて橋を架けなかったそうである。明治時代になると東京から近いこともあり温泉を目当てに観光地化が進んだ。また関東学生陸上連盟にとっては“駅伝の聖地”でもある。高気圧に覆われた秋の晴天のこの日、ちょうど箱根駅伝の1か月前にちょっと箱根まで足を延ばした。

時間がかかるが新宿から小田急を利用するのが良い。紅葉シーズンが終わり客足も遠のく12月からの新サービスとして「箱根フリーパス」がある。新宿から現地までの往復+登山列車、ケーブルカー、ロープウェイ、遊覧船、登山バスすべてが含まれ、5140円という優れたフリーパスである。

12月初旬の新宿駅、土曜5時台は思った以上に人が少ない。たいてい忘年会の飲んだくれが朝方帰る光景を目にするが、この日は少ない。

小田原行の急行に乗る。周りには山ガール、山男が目につく。そのほか中国人観光客が多いね。彼らは大きなキャスターを持ち、箱根へ向かうものと推測できる。この時期の日の出は遅く6時20分くらいまで車窓は真っ暗である。

厚木を超えたあたりの渋沢という駅で多くのハイカーが降りる。あれ、箱根に行かないのか?何かこの方面へのイベントがあるようである。小田原で箱根登山鉄道に乗り代える。小田急で少し前に使用されていた客車らしい様子が伺える。あえてレトロ感が風景に生える効果も狙ってか?乗車数は少なくややくたびれた様子も伺える。しかしなんといっても箱根開発を主体に沿線開発を手掛けてきた小田原急行である。手掛け先はいまでも東京のお客様とみえる。代表的なロマンスカーも代替わりし、近未来的な車両となっている。

車両は砂防施設で整えられた早川沿いを進む。途中には地球の生命と星の科学館があるらしい。眼下に高級温泉旅館街が広がってきた。間もなく終点箱根湯本駅に到着した。ここから箱根登山鉄道(本当の山岳ルート)に乗り換える。2両しか無い客車は、なぜか車両連結をしていない。走ってわかった。カーブがきつく車両がぶつかるので、とにかく連結部が長い。また連結歩み板では、頻繁にスライスするので歩くことはできないであろう。

 

 

スイッチバックも運行サイドは大変である。なにせ運転士が頻繁に先頭車両に合わせチェンジするので、ホームを歩くことせわしない。雨や雪の日は御苦労されることが想像できる。カッパ着て運転しているのでは・・・?また鉄道勾配の急さ加減もよく伺える。大抵の乗客が寝ているのであるが、その首の傾斜角度は、進行方向後ろに20度前後である。進行方向側に首を垂れている人はいない。重力に逆らえないほど険しいこと・・想像できるでしょうか。沿線ではまだ紅葉も見られる。標高は高いが、地熱も高いためでしょうか。さすがに登山鉄道、トンネルが多い。トンネル内の照明にも相当の電力を要するものです。大涌谷の火山活動で客脚が鈍っている影響が大きく、さぞ維持費が大変でしょう。

強羅駅に到着する。ここからの青空に映える早雲山の景色が最高です。ケーブルカーに乗り代えます。傾斜25度前後の直線です。中間に離合帯があり、ここで上下線の交差が可能となっているよくできたシステムです。平成7年開業でまだ新しいことに驚く。

 

 

早雲山駅が終着である。ロープウェイは火山活動で運休。代行バス(なぜか西武バス)が出ていました。現在、湖畔の桃源台と蛭子高原までの間のみ空中散歩が可能である。蛭子高原からの富士山容姿はきれいである。また気になっていた大涌谷も遠望できる。

 

 

まだ水蒸気が100mほど吹き上がっているが、火山灰を含むものではなく、明らかに水分のみである白さである。噴気音も聞こえない。表面上の火山活動はだいぶ静まっていると思われる。ただ先日に、温泉管理業務による硫黄が燃える事故があった。自然発火ではないらしいが、火山活動とは関係ないらしい。

 

 

桃源台に到着。外国人が多い。しかしわずかに残る紅葉と、青く澄みきった空、透明に限りなく近い芦ノ湖。桃源郷から取った地名そのものがイメージできた。ここから遊覧船(海賊船の姿)に乗る。キャプテンクック船長姿のサービスマンが、写真に入ってくれる。中国人、欧米人は満足そうだ。

 

 

芦ノ湖はカルデラ湖なのであるが、元々のカルデラを神山の火山活動で噴出した溶岩などが早川をせき止めたことで形成されたものである。したがってあまり深くない。最深でも45m程度である。また形成時代は若くわずか3000年ほど前の出来事である。富士を含め箱根や伊豆半島、伊豆諸島へのびる火山列は地質学的にかなりアクティブであると感じさせる。

箱根町に到着する。ここでは関東の大学駅伝に参加する方々の “聖地”であるゴール地点の道標がある。また箱根駅伝博物館も併設されている。今回は入館しなかった。

朝ごはんも食べる時間がなく、早めの昼食とする。すぐ近くの洋食店でハンバーグプレートを注文する。店の方に恩賜公園は近いですかと聞くと、「車ですか」「いや歩きです」「それでも10分くらいですかね。関所跡の向こう側ですので。」「ありがとうございます」ということで、さほど寒くない日の高い時間帯の箱根町を歩いた。至る所に「ヒメマス、ニジマス」といった登りが立つ。昔北海道でも食べたが、どうも他所の養殖らしい。なにせ湖に栄養分が少ないので育たないそうだ。ここ芦ノ湖も新しい湖なので同様であろう。

 

 

恩賜公園へは国道1号沿いの丘を越えて入った。中央広場からの富士山の眺めは最高である。迎賓館が残っている。2階に上がるとヨーロッパ系の女性が抹茶をたしなんでいた。菓子付きで500円であり、自分も注文する。いくつかの写真スポットはたいてい外国人でにぎわっている。北欧系の男性が姿勢を乗り出し竹ひごを踏み抜く。「バリッ!!」ま、この程度なら許せるか。故意ではないからね。苦笑いをしながら次のポイントへ向かう。

 

 

箱根神社では2組の結婚式が行われ親族の写真を撮っていた。快晴の箱根はそれだけで素晴らしい門出を祝っている。

もう1回遊覧船に乗る。かなり寒くなってきたので船内客室で少し暖をとった。ここからの富士も見事に見える。クルーたちは毎日このようなきれいな風景を見ているのであろうが、さすがに感動はかなり少ないのだろうね。季節は変われど毎日同じコースだからね。夕刻になり、今日は赤富士が撮れる予感がしてきた。春の河口湖ではそのまま暗くなってきただけで残念だったが。自宅から持ってきたヤッケを重ね着し、使い捨てカイロを2個開封する。またポットに入れてきた熱いお茶をすする。16:30ごろから完全日没し、富士の峰のみ夕日が照らし揚げる。銀嶺に赤みが増してくる。なんだか数字の「3」に見える雲が出現する。どうも宝永火口の地形変化が風を変化させそのような雲を編み出しているのであろう。その後見事なトワイライトが展開する。自分以外に、中国系の女性4名、ヨーロッパ系の男性2名がここ芦ノ湖畔でカメラ撮影を続けている。しかし最後に自分が三脚を片づけた。

 

 

かなり体が冷えた。バスに乗り、箱根湯本の食堂で熱燗を注文する。この展開は河口湖と同様である。ただし閉店間際で、寿司しかないと・・。鉄火巻と熱燗とのコラボレーション。少し料金は高いがまともな本マグロの味がした。

Short traveler

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