富山紀行

4月11から12日にかけて、開業したばかりの北陸新幹線「かがやき」にてチューリップなどで美しいとされる富山を訪れた。
できたての駅舎は近代的かつ北陸における京都文化の風合い持ったものと考えられ、他の駅にはみられない和の格調を感じた。北口改札は建設中で、駅の北側にある富岩水上ライン乗り場へは、南口を一端出て、長い地下道で北口へ抜けるしかなかった。(3人の北陸美人がいた総合案内で道順を聞いた)

できたばかりの地下道の一部には仕掛け時計があり、丁度人形が出てきていた。「ちんどんや」である。発祥は大阪かと思いきや富山のようである。富山の薬売りは有名であるが・・
昼に運河そばの、そばや「薮ソバ」に立ち寄る。そば・うどん・らーめんといろいろあるが、そばやでラーメンは邪道だなと思いつつおばちゃんに「てんぷらそば」を下さいと注文する。その直後のこと、隣に座っていた地元らしい格調のある老夫婦が「てんそ2つ」と言った。おばちゃんもハイ「てんそ2つ」と呼応する。ええ!こちらでは「てんそ」と言う言い方が文化として根付いているのか?京都文化なのだろうか。そうするとてんぷらうどんは「てんう」?。

富山平野は広大であり、背後にあるアルプス立山および岐阜の急峻な山岳地帯からもたらされた大量の土砂で形成されている。また降水量も多いことからたびたび洪水に悩まされてきた。このことから明治時代に富山市街地を蛇行して流れる神通川をショートカットし、かつ運河建設で出た土砂を旧河川に埋め立て、現在の市役所や県庁などの中心市街地を形成してきた経緯がある。富山市はそのような近代的土木建築の先駆けとなった街でもある。その運河は昭和中期まで栄えた林業で活用され、運河周辺は貯木場となっていたようである。
運河中間にある中島閘門(なかじまこうもん)は神通川と平走する富岩運河の急流勾配を遮断し、2.7mの水位差をつけ、楽な船運および貯木を実現したものである。明治時代から現役で使用されている。


1時間遊覧した後、ライトレールにて富山駅まで戻る。この鉄道は、日本中で注目されているコンパクトシティー交通システムであり、市民の主な足となっている。このためか街中の交通渋滞は少ない。(絶対的車両数が少ない可能性もある)
市内は広々としており、散策には最適である。街中至る所にガラスの街を売り物とした展示施設がある。ガラスケースにガラス工芸品が展示されている。夜は照明によりいっそう美しく光り、市内を彩っていた。


丁度桜が満開であった。松川「旧神通川の排水路」沿いの夜桜は最高だ。ライトの当て方も見事であるが、川沿いに近代彫刻品が並んでいるのもすばらしい。郷土が生んだ芸術家の多さにも驚かされる。美しい風景・風土・文化が育んだ背景があるのではなかろうか。


この日はとても寒かった。1時間も歩くと体の芯まで冷えたので、夜祭りの屋台で熱燗を一杯。おばちゃんがおでんを運んでくれた。よく煮込まれたおでんであり、東京で作られる醤油ベースではあるが京風の薄味と思われる。熱燗をお代わりし、こんどはイカの姿焼き。体が温まり、再度夜桜撮影へ。


翌日は立山アルペンルートに出かけた。富山地域鉄道、通称地鉄と呼ばれ、関東から行くと地下鉄と勘違いするこの鉄道で1時間半かけ揺られていく。

昨日アルペンルートの部分開通がなされたばかりで、まだ観光客は少なく、地元の高校生が部活だろうか、それでも20名弱で利用していた。富山市内の近未来型ライトレールとは対照的に、この地鉄はとても古い。車両もさびだらけで、停まる駅舎すべてが朽ちかけている。よっぽど観光客が少ないのか、地域住民の移動だけでは賄えない赤字路線なのであろうか?深く考えさせられた。


立山ケーブルカーの歴史も古い。かつての戦後の大事業「黒部第四ダム」でも資材運搬のために使用されたらしい。70年近い運行になろうか。傾斜29度の急勾配をロープ1本で引っ張るのであるから、よく考えると怖いが、当然点検しているでしょう?。外国人が数名乗っていた。国際的にも有名なのですね。


標高約1000mの美女平へ到着する。なぜ「美女平」という地名か不明であるが趣がありますね。ここから登山バスへ乗り換える。環境に優しいハイブリットである。ここには近代化が進められ、資産が投入されている。雪の壁は高いですね。5mはあるでしょうか。よく間違えないで道路を掘り出すものです。技術者の長年の経験と勘でしょうか。1時間かけ標高約2000mの弥陀ヶ原へ到着する。真っ白な雪原が広がっている。5mもある雪の上を歩いてみた。


スニーカーであったが雪は締まっており、靴が潜ることはなく自然に歩けた。まだ開場されていない展望台より立山カルデラをのぞき込む。立山カルデラは火山活動で形成された大きな窪地であり、立山火山が古い時代に大きく崩れて形成された。このため現在も崩壊が継続し、富山平野へ土砂を吐き出している。これを食い止めるために明治時代から巨額を投じて砂防ダムを建設してきた経緯がある。先ほど紹介した平野部の河川付け替えとともに、山の土砂を食い止めるという大きな事業がここ富山県で先駆的に行われてきたのである。


2日間よく歩き、よく食べ、1人旅を満喫した。
旅立ち前日に浦和パルコ3Fの「NOJIMA電機」にてミラーレス一眼レフCANON EOS―Kiss(初心者向き) をこの旅のために購入・準備した。(昨年購入したNICON P600 は娘が仙台で使用している。)
事前から綿密な計画をしていたわけでもなく、丁度空いた2日間であったこともあり、富山に着いてから、「チューリップ祭りは来週からですと案内嬢で言われたこと」など、しまったと思う半分、意外な発見もあり、また購入したカメラの性能を確認できたこともあり結果として良かった。

余談
市内で着物姿の若いグループを見かけた。やはり京都文化を感じる「粋」が流れている。
Short traveler(短旅評論家)

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