箱根駅伝2週間前

周回遅れの街 「新宿駅構内」を朝5時55分通過する。小田急線急行の始発では、左右両側にドアが解放され、となりのホームへ移動する人も見かける。酔いどれのおっさんが前を歩くおっさんに「おじさんどこへ行くの?」と大声でしかも知り合いでもなさそうな、ケンカ腰でもなさそうな、そんなトーンで呼びかけている。

今日は箱根旧街道を歩くためにここ小田急線に乗り込んでいる。なにせ2週間後における箱根駅伝5区のランナーがここ箱根の山を走って上るわけだ。数々の伝説を作った箱根の国道1号。しかしよく考えてみると昔の旅人や、物流「飛脚」、大名行列、などがこの箱根を通過してきたわけだ。その足取りを現代の石油文明と比較してみようと、箱根越えを試みた。

 

 

ホームページには、あまり詳細なマップがないので、コンビニで聞きながら、狭い旧箱根街道(県道)を歩き始めた。

玉簾の滝の案内板をみかけ、せっかく上ってきた道を右折し、河床に降りる。ホテルの裏にあるこの滝は、すべて湧水らしく、凝灰角礫岩の岩肌を清水がそうめんのように流れ落ちる。これが玉簾なのであろう。アフラックのCMに出てくるような黒と白のアヒルが仲良く日向ぼっこしていた。

再びアスファルトの道を歩く。後ろから自分より10歳は上の登山グループ3名に抜かれる。自分と同じ元箱根を目指しているらしい。どこかジョギングするようなスパッツにスティックを持ち合わせていた。元気な60代とみる。暑くて汗をかき始めたので、少しクールダウンし、オレンジジュースを補給する。

 

 

しばらくして右手に天狗神社が見えてきたところから、左手に入る歩道を発見。「須雲川自然探勝道」と書いてある。元箱根まで6600米と書いてある。ここまで1時間。湯本から標高200mは上ってきた。

管理されたスギ林を歩く。冬の冷え切った空気には鳥の声さえ聞こえない。沢のせせらぎの音のみが漂い雰囲気が良い。すぐに東京電力の発電用取水施設にぶち当たる。なんか自然探勝とは言い難い風景となり、仮設桟橋を渡り対岸へ抜ける。天狗神社を横目に県道を横断すると本格的な石畳となる。どうも江戸時代の石畳だそうで、これが古(いにしえ)の箱根街道である。明治時代には小学校の通学路となっていたようで、当時の小学生はこれを歩いていたらしい。わらじで通学したのであろう。健康優良児が育ったに違いない。

 

 

石畳は、苔が生し、またよく円磨されているので滑る。こっちは新品の登山靴できているのだが、これは登山靴ではやめたほうが良いかもしれない。どちらかと言えば、ゴム地下足袋がいいと思われる。昔の人は草鞋であり、むしろ少し水分を含んだ草鞋ならば円磨した石にぴたっとグリップしたのではなかろうか。またこの石の円さは、何を表しているのか。それは多くの人々が歩いたことにより、岩肌を削ったのに違いない。元々岩石は安山岩の角ばり、のみで割った表面はでこぼこしている石材である。お伊勢参り、西国大名の参勤交代で年間数十万人が、ここ箱根を通過したわけである。このようにわらが硬岩を丸く整形したと思いながらすべる登坂に追われる。

 

 

車道とほぼ平行に石畳の上り坂が続く。車道はヘアピンカーブが続き、コーナリングの度に内側のタイヤスピンで「キュー」という音が唸るようなきつい勾配だ。こちらの石畳は、階段状になり、ヘアピンカーブをさらにショートカットしている。汗も多くなり、踊り場でトレーナーを1枚脱ぐ。冬のこの時期には観光客も少なく、走る車両は少ない(おそらく多くの車両は箱根ターンパイクや箱根新道などの有料道路を走っているのであろう)。

 

 

しばらく行くと猿滑の坂となる。ここ箱根路にはいろいろな坂の名前が付き、いわゆる道標となっているのであろう。昔の人がコミュニケーションをとる際に「猿滑で、薩摩藩に出くわしたよ!!」などの会話がよみがえる。ここで30代の単独女性登山者に追い抜かれ、すぐそのあとに登山ランナーにも通過された。自分はアーモンドチョコレートで栄養補給する。腕時計にある高度計の標高は600mほどになる。歩いていると頭の中に、お猿の駕籠屋が流れ出す。ちまたでは、ごみ収集車が流しているメロディーサウンドである。「エッサエッサエサホイサッサ、お猿の駕籠屋がホイサッサ。日暮れの山道細い道、小田原提灯ぶら下げて、ホラヤットコドッコイホイサッサ、ホーイホーイホイホイサッサ」と、とにかく足を円滑に上げ下げする「サッサ」という、今自分がやっている動作そのものを表している。よくできた歌である。と感心しながら登坂する。こんなのもあるね「箱根の山は天下の剣、函谷関もものならず。万丈の山、先人の谷、前にそびえ後方に誘う、雲や山を巡り、霧は谷を閉ざす。」万丈の山とは前方に見えてきた双子山を指すのであろう。結構急な溶岩円頂丘で、最大傾斜は60度前後である。谷とは今上がってきた須雲川渓谷を指すのであろう。そんなことを考えながら冬の関東の青空を拝み、暗い杉林と葉の落ち切った明るい落葉樹が繰り返される坂道を進む。

しばらく行くと畑の宿に到着する。宿場町の面影があり、1里塚も残存する。ここで寄木細工が作られていたそうだ。いまでも箱根の各観光地で売られているが、どれも高いわけだが、手間がかかりすぎるこの細工には納得できる。そばでも食べたかったが、時刻11時では準備中であった。先を急ぐことに。しばらく急登坂が続く。完全に登山だ。

 

 

ようやく峠に差し掛かったようで、緩勾配になり歩きやすくなる。そこからかやぶきの屋根が見える。HPの載っていた「300年続く甘酒屋」である。ここで休憩しよう。昔の旅人もそうしたはずだ。薄暗い店内はランプで灯りをとっている。これも古の感じだ。奥の座敷に座る。囲炉裏に鍋がかけられ、うすい白煙がのぼる。正面には「箱根の山は天下の剣・・・」の大きな壁掛けが鎮座。賄さんに、甘酒と、安倍川もちを注文する。合わせて900円であるが、それなりの品物が出てきて納得する。

 

 

 

隣の席には、幼児を連れた若い夫婦が座る。仲居さんに「2年前に、ここの甘酒を飲むと白いきれいな女の子を授かると聞き、お礼に来ました。」仲居さん「まあほんとに女の子が生まれたんですね。お名前は?」母親「葵と言います」 すごいね。徳川家の家紋から取ったのであろうか。よっぽど言い伝えを信じ崇拝しているのか?徹底してゲンを担いでいますね。

力持ちと甘酒と言い伝えを聞き、こちらも元気が出てきた。再び箱根旧街道を歩く。ほぼ峠に来た感じであり、平坦な杉林を進む。下りに差し掛かると青い芦ノ湖が見える。ほっとしたね。標高は800m。ほぼこの標高を登ってきた。

 

 

ここから下ると元箱根町である。北欧系の若い家族がすれ違う。外国人にとっては、このほかうれしいのでしょうね。長いバカンスを好むヨーロッパ人には深く古に触れる醍醐味が最高なのかもしれない。日本人も真似をしましょう。

標高750mの芦ノ湖畔でくつろぐ。外国人が多い。湖畔では仲の良さそうな20代2人組アメリカ系男性から、「Please take a picture」と頼まれる。断る理由もなく、富士と箱根神社の赤い鳥居をフレームに収めた遠近の2枚写真を撮って差し上げた。とてもうれしそうな2人。どう見てもゲイだ。そういえば、中国の方が写真シャッター掛け声、日本ならば「チーズ」が主流であるが、「サン、ウー、ソウ」と言っていたようだ。どういう意味かな?

さらに駒ケ岳ロープウェイ乗り場まで歩く。ここからは現代に戻り、石油の力で頂上を目指す。あっという間に山頂1340m付近まで上り詰める。なんて楽なのであろうか。頂上には多くの観光客がいる。トヨタカップの最中であり「REB」と書いてあるアルゼンチンのリバプレートファンがいっぱいいて、富士山を見て「オータ、エーラ」と、でかい声で感動しているようだった。

 

 

ここは関東と東海が一望できる唯一の場所かもしれない。南には冬の太陽を乱反射する駿河湾、とんがった岬を見せる伊豆半島の西伊豆、うっすらと伊豆大島、東には真っ青な相模湾、茅ケ崎の海岸が弓を成す、その北側には大磯丘陵、さらに北側に秦野台地、丹沢山地と続き、駒ケ岳に隣接する神山溶岩円頂丘、その背後に裾を広げた真白い富士が鎮座する。富士の西裾には侵食が進み火山地形がかなり失われた愛鷹山も見える。

富士の背後には銀嶺となった南アルプスや中央アルプスも見える。しばし時を忘れ、寒さも忘れ絶景をたしなむ。しかし30分もすると寒さに勝てず、先ほど脱いだパーカーを着る。さらに30分するといよいよ芯まで冷えてきたので、このために持ってきたダウンジャケットとニット帽子、ネックウォーマーを重ね着する。これでサンセットと赤富士が満喫できるはず。しかし富士には雲がかかり、時折しか山頂が望めない。

 

 

一方、駿河湾には厚い積雲がかかり初め、隙間から光のカーテンが放射されてきた。こちらのサンセットは最高である。こんなに空が茜色になるのであろうか。足元には芦ノ湖が見えるが、湖面には外輪山の影が逆さに移る。

 

 

後ろには箱根神社元宮の紅色の社殿が見え、その周りの枯草からなる丸い山肌が紅色に染まる。まるでエアーズロックだ。いよいよ駿河湾に日が落ちる。愛鷹山や富士の山腹が茜色のカーテンで覆われる。最終の16:50の案内放送が流れ、これで山を下りることに。おじさん2名と、カップル3組が最終ロープウェイに乗り込む。芦ノ湖畔のホテル群はホタルノヒカリのような灯りをともす。

 

 

箱根園バス停で、30分待つことに。周りの食堂や土産屋は灯りを消し始めた。この時期16時で閉店だそうだ。河口湖のように遅くまで営業する飲み屋があると思いきや、ここには全くない。1組のカップルと自分だけ、我慢大会を演じている。女性がつぶやく「さむいさむい、意外に表現がない!!」男性「気の利いた笑い話も出てこない。。。」2人で「アッハッハ」と何とも仲の良いカップルである。バスに乗り込み、アーモンドチョコで寒さを紛らわすが、こんなもので暖まらない。ずーと停車したままのバスの暖房はすぐに効かない。小田原まで背筋が凍てついたままだった。降りてすぐ見えた「日高屋」に飛び込む。いつもは食べない「ピリ辛とんこつネギラーメン」を注文し、冷たい額にでた汗を拭きながら満足する。

 

 

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